坐る意味
Apr 12, 2022マインドフルネス・メディテーションのトレーニングでは、まずとにかく坐ります。実際に自分が”坐る”トレーニングを通じて自身の変化を”実感”することを、指導者から口すっぱく言われるのです。
私自身このトレーニングを始めた頃は、デイビッド先生からよく”Just sit! ” (坐りなさい!)と言われたものです。「坐ることなしには何も会得できない。トレーニングの初期において、心の平静を感じるにはこの方法以外になし!」ということもよく言われました。
私自身が指導する側になった現在、まさにこの『坐る』練習から得られた感覚が、自身の人生や指導する力としてどれほど大切かを感じ入る毎日です。(デイビッドありがとう!)
こうした体感は、メディテーションの本を100冊、1000冊と読み漁っても、決して身につくものではありません。もちろん読書や、先生の言葉、仲間とのコミュニケーションなど、勉強することもとても大切なのですが、そこにはまず『すわる』という前提がないと何も進みません。
例えば、カレーライスを見たことも聞いたことも(もちろん食べたことの)ない人がいたとします。その人に古今東西の料理本を読ませ、世界中のシェフからレシピの講義を聞かせ、さらにはスパイスの歴史まで学ばせたとしても、実際カレーライスを口にいれて味わうことがなければ、その人がカレーライスを100%理解することはできませんよね?
メディテーションを学ぶことはこれと同じだと思います。実際に食べないと理解ができない。。
指導者おいてもこのことは非常に大切なポイントになります。坐わることをおざなりにして、読書の時間ばかり取ったり、講演会をとにかく回って、そこで表現される「言葉」を仕入れるだけ仕入れて、それをクラスで活用する指導者になってしまうことは大変危険を伴います。
これは、「カレーライスを食べたことはないけど、お店のショーウインドウから中をのぞいて、それを食べて入る人を見たことがある。色も形もわかるし、食べた人のリアクションもだいたいわかる、だから私はカレーの全てを人に伝えられる!」というロジックと同じではないでしょうか?
ただ坐る。
シンプルですがとても大切です。