心の地図
Jul 30, 2024私がプログラム説明会や初めての方向けのワークショップを開催すると、「瞑想ってただ座ってるだけでしょ?勉強とか必要なの?」と聞かれることが少なくありませんが、答えは『Yes』です。瞑想を実践するためには、まず学ぶことが必要不可欠です。
瞑想というと、一般的にはアプリを聴いたり、動画を見ながらリラックスするリラクゼーションと捉えている方も多いと思います。しかし、マインドフルネスを含め、仏教理論に基づく瞑想は、心をよく見てその性質を知り、さらに日常で心をうまく使うことを目的としています。そのためには、スポーツをしているように私たちの心と体の機能を適切に使えるようになる必要があります。
仏教瞑想の理論は、ブッダ以来、2600年の間、数えきれないほど多くの人々が瞑想して、心と身体の機能を実際に知覚し、その体験を体系的にまとめた、心の機能の実験結果集です。例えば、「私」という意識を説明しようとすれば、8つの機能的側面や5つの構成要素として説明がつきます。また、感情の展開についても6つのタイプとその展開について説明できます。これらのことは瞑想を通して自分で経験できることなのです。
日々の瞑想の練習は、こうした心の仕組みを自分の身体を使って実験しているようなものです。瞑想の経験を積めば積むほど、心の微細で精密な機能を自覚できるようになります。瞑想はいわば心を見るための、心の顕微鏡の性能を上げていく作業なのです。
私たちが実際に心の動きを経験するためには、心や体がどう機能し、作用しているのかを精密に見れる安定して明晰な心身の状態を作る必要があります。だから、シャマタ瞑想やマインドフルネス瞑想のような基本的な瞑想は、まず心や体を落ち着かせるところから始まるのです。
心が落ち着いたら、次に積極的に心の動きを観察・分析していきます。この洞察を行う瞑想として、ヴィパシャナやその先のシャマタ・ヴィパシャナ瞑想などがあります。心を落ち着けることは、心を精密に捉えるために必要なのです。単なるリラクゼーションそのものが目的ではありません。
瞑想には実践のための順番と段階があります。こうしたステップを踏む作業は、先人たちが試行錯誤して編み出した最も効果的な方法であり、それらが各種の瞑想理論体系とテクニックなのです。
もし瞑想が行き当たりばったりであれば、それは単に漠然と座っているだけになり、自分が何をしているのかわからず、効果が生まれない可能性があります。また、瞑想のテクニックを自己流で行うことは、そのテクニックがどういう負の効果をもたらすかも未知数で、危険が伴います。心の変化は、体重変化のように日々の変化はとても少なく気づきづらいものです。しかし、確実に一歩一歩変化します。だからこそ、間違ったテクニックを続けると、数年後に取り返しのつかない心の固さや傷を負ってしまうことにもなりかねません。
皆さんが旅に出るとき、地図を見て目的地を知り、現地の情報を調べて、より安全で効果的にそこに辿り着く方法を選択しますね。これと同じように、瞑想はまず自分の目的地と進むべき方法を知らなければなりません。それが瞑想の理論を学ぶということです。方向性のないままいくら練習をしても、それは単なる「迷走」になってしまいます。目的地までの安全な乗り物が、伝統的に受け継がれ検証を重ねられた瞑想の技術なのです。瞑想理論を学ぶことは、自分の心がどこに向かうかの地図を手に入れるようなものなのです。
目的地と移動手段が決まったら、実際に自分で旅路を歩まなければなりません。それが毎日の練習です。コツコツと練習を続けることで、少しずつですが、着実に目的地に近づいていきます。目的地と現在地がわかることは、瞑想実践を途中で投げ出す可能性を減らしてくれます。もし、自分がどこに向かっているのかわからなければ疑心暗鬼に陥り、諦めてしまう可能性も高くなってしまうでしょう。
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェの言葉に、『瞑想だけしてると愚か者になる、勉強だけしていると”忙しない”愚か者になる』というのがありますが、まさにその通りなのです。瞑想はまず心の地図を手に入れて、そして実際に旅路を進むことが大切です。地図がなければ目的地に着きませんし、地図を見ているだけでも目的地に着きません。理論の学習と瞑想の実践のバランスこそが最も重要なのです。