メディテーションの始め方
Apr 12, 2022メディテーションを始めたいけど、どうしたらいいものか。。
本を読めばいいのか?
ワークショップに参加すればいいのか?
それとも一人で山に籠って、ただひたすら瞑想すればいいか?
などなど、マインドフルネスをはじめいろいろな種類のメディテーションを始めようとしても、なかなかその第一歩が踏み出せない方も多いのではないでしょうか?
今回はメディテーションを学ぶ上で大切なポイントを紹介したいと思います。メディテーションを学ぶには、必ず”持たなければならない“3つのものがあります。
それは、
①正しく教育を受けた指導者を『持つ』
②練習仲間を『持つ』
③自分の練習時間を『持つ』
ことです。
①正しく教育を受けた指導者を持つこと
まず、メディテーションを学ぶ上で大切なポイントは、正しく教育を受けた指導者の元で学ぶことです。これはとてもとても重要です。よく私の先生のデイビッドは、『メディテーションは自分と友達になることだ。』と言いますが、メディテーションは自分の心と向き合うものなのです。そしてその向きあう自分の心は、特にエゴ(自我)は、物事を自分の都合の良いように解釈していまうという、非常厄介でよくできた心の機構をもっています。これがなかなメディテーションを進める上で厄介なのです。
例えばメディテーション中にトランスのような非日常的な体験したり、何か自分のなかで重要なポイント(であろう)ことを発見したりすると、『ああ!とうとう見つけた!』または『とうとう到達した!』と、我々は勝手にある種の到達点に至ったと誤解しはじめます。さらに厄介なことに、我々の心はそうした思いや考えを正当化しようと、さまざまな理論や哲学や聞いた話などを“歪曲”して自身の体験に当てはめようとしてしまいます。これがエゴの自然な動きでもあるもあるのですが、、
このような自分を欺いていく心の方向性をキチンと修正していくには、客観的な第三者が必要です。しかも正しい心の状態を学び続けていて、かつ自分自身も過去に同じような経験をし、それを正してもらった経験を持っている第三者です。すなわち経験豊富で、しっかりと心の仕組みを理解している指導者が必要なのです。メディテーションの学びはじめはとくに決して一人で学んではいけないという理由もここにあります。
②練習仲間を持つこと
次に大切なことは、練習仲間とのディスカッションまたはコミュニケーションを持つこと。メディテーションはまずとにかく継続が必要ですので、仲間の存在はモチベーションの持続にも大切になります。また、それ以上に重要なのは、プラクティスを通して体感したこと、学んだことについてお互いにディスカッションをするとことで、『自分の意見と他人の意見が異なる』こと、そしてその異なる意見が『自分自身の考えと同じくらい重要であること』を理解させてくれます。この作用もプラクティスを通じて「独りよがり」な人格形成を抑制する大きなポイントになります。
③自分の練習時間を持つこと
最後にこれは当たり前ですが、自分自身の継続的な練習です。そもそもサイクリストが自転車を乗る人、スキーヤーがスキーをする人といったように、メディテーターとは“メディテーションをする人“を指します。日々の練習を行わなければ、メディテーター足り得ません。メディテーションしてないのですから。。最近の科学的なデータも示しているように、継続的な訓練をするこでよってのみ、脳の形状の変化や、脳波の変化などが現れます。本を読んで話を聞いていても一向に変化は現れるものではありません。
これらのことは、私がメディテーションのプラクティスを始めてから、デイビッドをはじめとする先生方、さらには練習する先輩方からそれこそ耳にタコができるほど言われたものです。メディテーションは、ひとりで坐る時間をキチンとることは勿論大前提です。ただし、自身の練習を進めるには、指導者と練習仲間が必要不可欠です。この指導者、練習仲間、自身の練習が立体的に機能してこそはじめて、いわゆる『精神の横道』に嵌ることを防いでくれるのです。
この3つのうち一つでも足らずに『精神の横道』に逸れてしまうと、“Egohood” (エゴフッド)や”Egomania”(エゴマニア)と言われる、極端に自分のエゴが強めた人、要は我の強い人になってしまいます。
身体に無理をかけると怪我をするように、心も扱いを間違えると怪我をしてしまうのです。メディテーションを始めるのときには、このリスクを覚えておくといいでしょう。