退屈になる
Apr 12, 2022メディテーションを学び始めたものの、なかなか続けられない、お家でできないという方は多いですね。
なぜか?
単純に『退屈』 だからです。
ただ坐って、なにもしない。。。退屈ですね。
または、じーっと坐っていると落ち着かなくてやめてしまう。といったこともあるかもしれません。
テレビ、スマートフォン、雑誌、または仕事や家事などなど、我々の退屈な時間を埋めるものはたくさんあります。ちょっと気がつけば携帯をいじっていて30分、テレビを漫然と見ていて2時間、ほんの10分、15分であってもなにもしない時間をつくるのは何となく嫌なものです。
メディテーション(瞑想)を学ぶにあたっては、まずはこの退屈をしっかり経験する必要があると言われます。むしろ退屈になるためにメディテーション(瞑想)をしているといっても良いかもしれません。
チョギャム・トゥルンパ・リンポチェが好んでつかった言葉に、”Hot boredom” と “Cool boredom” というものがあります。直訳すれば熱い退屈と冷たい退屈ですが、意味合からすると“辛い退屈”と“楽な退屈”といった感じで捉えて頂くと分かりやすかもしれません。
「辛い退屈」とは、自分が生活している時の脳内スピードと、メディテーションの最中に我々が見つけようとしている“間“(ま)のある状態が違い過ぎる事によって生じる退屈です。イライラや無気力であったり、またはハイテンションなライフスタイルに慣れてしまうと、ただ静かに座り今ここを感じるという行為にある種のアレルギー反応を起こしてしまう事があります。場合によっては、その落差を嫌うあまり、メディテーション中いつも眠りに落ちてしまうこともあるかもしれません。
イライラや無気力が沸き起こってもメディテー ションをやめず、まずこの「辛い退屈を味わう事がとても大切です。坐ってイライラしていることを怖がらずに脳内スピードの違いに慣れて行くと、それを越えたところで、「楽な退屈」を経験します。退屈を味わい慣れて来ると、脳内だけでなく日々の生活の中でも以前よりリラックスしてくつろいだ状態を経験できるようになっていきます。ただ予定を埋める為だけに忙しく動き回る必要がない事に気付つくかもしれません。
マインドフルネス・メディテーション(瞑想)は、基本的にはただ坐るだけです。なにか特別なことはありません。しかし、特にメディテーションをはじめたての頃は、このHot Boredomのように心の意識化の中での無駄話がたくさんあることに気がつくことで、自分の落ち着きのなさを感じ居心地が悪いものです。明日の打ち合わせ、今日の晩御飯、犬の散歩、など止めどなく浮かんでは消えていきます。
この無駄話に付き合わなない方法は、ただ呼吸でも歩行でも皿洗いでもなんでもいいのです。“ただ自分の行なっている行為・動作へ注意を払えればいいのです。坐ってメディテーションをしているときは、呼吸に意識を向ければOKです。思考に気がついたら、自分の呼吸の出入りを慎ましやかに受けいれてみましょう。ただ自分の呼吸をしていることに心を行き渡らせます。そこに知的思考も、哲学性も含ませないことも肝要です。
その先にCoolな退屈が待っていますよ!
結局退屈ではありますが、、、