テディベア・ブレス
Apr 12, 2022メディテーション(瞑想)を始めると、先生からのインストラクションや、メディテーションのテキストなどで呼吸について教えてもらうことが多いと思います。呼吸とメディテーションは切っても切れないものです。
しかし、呼吸は単にメディテーションの一部であって、すべてではありません。ここを誤解するとメディテーションがうまくいかないことがあります。そこで、今回はメディテーションを行うときの呼吸との向き合い方について書いてみようと思います。
メディテーションにおいて呼吸とは、小さな子供にあげる「おもちゃ」のようなものと言われたりもします。チョギャム・トゥルンパ・リンポチェは「The Teddy Bear of Breath」と表現したりしました。退屈して落ち着きをなくした子供にテディ・ベアを渡すように、私たちメディテーターは、落ち着きのない心に呼吸を与えて、そこに意識を向けさせていきます。
マインドフルネス・メディテーションをはじめてやってみると、5分もしないうちにじっと座っていられなくなり、体を動かしたり、瞬きが激しくなったり、眠りに落ちたりといった体験します。これは体を静かに座らせることで、心の散漫さが体にまで顕われるからです。心はいつも動き回って、何か新しいエンターテイメントを常に探していのるです。なにか気になる事があると、心はそれに飛びついて、どこかに行ってしまいます。体が座っているところに、じっと一緒に座っていられないのです。
私が愛犬のルンタと一緒にメディテーションをしようと、彼をクッションの隣に座らセらせてみると、彼はすぐその場を離れて、スタジオの中をグルグル歩いたり、植木の匂いを嗅いだり、そしてまた私の傍に来て座ってみたりします。メディテーション中の心の動きとはまさにこんな感じで、一つの場所にじっとできません。
呼吸も、息を吐くとすぐに吸いこみ、吸い込めばすぐ吐き出すという繰り返しで、常に動き続けています。常に次へ、次へと落ち着きがないという点で、心の動きと非常に似た特性があります。この近似性を使って、心に呼吸というおもちゃを与えて、そのおもちゃに気を惹かせていくのです。
ただし、ここで注意が必要なのは、メディテーションの場合はこの「おもちゃ」に完全にのめり込みすぎてはいけないという点です。メディテーション中、意識の25%くらいを呼吸に向けるようにするのがコツです。メディテーションは心のさまざまな側面を観ていく作業です。何か特定のものに100%意識を向けてしまうと、自分の心の揺らぎが見えなくなってしまいます。それでは練習になりません。
心が海の上に浮かぶ船だとすれば、漂流しないようにアンカーを打って、そこで浮かんでいる波間で揺らぐ船のありようを見ていくのがメディテーションです。アンカーを打つことが主目的ではありません。メディテーションにおいては、常に呼吸と完全に一体化しているわけはありません。呼吸への意識は意識全体の4分の1程度で問題ないのです。これはメディテーションの向き合いでとても大切なポイントです。
しかし心にとって呼吸は、とても楽しいおもちゃです。すぐに私たちの心を占めてしまいます。そこでメディテーション中に呼吸に入り込みすぎないための一つのポイントがあります。
それは、メディテーション中に吐く息に意識を向けたら、滑り台を降りるように息を吐いていきます。滑り降りると、ちょっとした空白ができて、その後息を吸っている間に滑り台を登ります。そしてまた、滑り降りていき、滑り台が終わって、砂場やプールの中に飛び込むように、吐き切った後の余韻を感じます。これをシンプルに繰り返していきます。
滑り台に乗っているように呼吸をすると、滑り終わった後、すなわち吐く息が終わった後に、滑り台の外へ出ていく感じがわかります。突然外の鳥の声が耳に入ったり、外から入る風を感じたりします。吐く息が私たちを外の世界に連れ出してくれるのです。心の中に囚われるのではなく、自分たちが生きている世界とコミュニケーションができる窓が開くのです。伝統的には、これを『心と呼吸を混ぜる』といったりします。
メディテーションは、自分の心の動きと、自分を取りまく現実の世界で起こっていることの両方にダイレクトに関わる作業です。自分の中だけでなく、自分の外側で何が起こっているかを見ることも大切です。呼吸はそうした意味で大切な役割を果たしてくれます。
子供時代に滑り台で遊んだだように、メディテーションは楽しく、好奇心が刺激され、そしてちょっとだけ勇気が必要な行為です。童心に帰って呼吸とともに座ってみてください。そうすれば、改めて世界の新鮮さに触れることができますよ!
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