全体性
May 11, 2022私たちが伝えている瞑想の最も大事な基盤はマインドフルネスです。『読むロジョン』でもよく紹介している通り、ロジョンの実践もトンレン瞑想も、そしてメッタ瞑想も含めたコンパッションのトレーニングにおいてもマインドフルな感覚がなければ、練習が成立しません。とても重要です。
マインドフルネスは、とても重要で感覚なので、早くマインドフルになりたいと思いがちなのですが、マインドフルな感覚は突然現れるのではなく、継続した練習によって、徐々に少しずつ起こるものです。瞑想は成長と熟成のプロセス辿るものです。突然変化が起こることはありません。よく私の先生のDavidも、『魔法の薬はないよ!』と言いますが、まさにその通りなのです。
毎日の練習を続けていくと、一歩一歩ですが確実に進化が進むのが瞑想です。登山をして山頂に辿り着くまでには、登山口での最初の一歩から、また次の一歩、そしてその次の一歩と、歩みを重ねる必要があるように、瞑想も全く同じようなプロセスが必要なのです。瞑想した途端に、何か人生の問題が解決してしまうとか、全てがクリアになってスッキリするということは残念なが起こりません。もし起こったとすれば、それは単なる気のせいか、思いこみかのどちらかでしょう。
日頃の私たちの心の混乱や不安を減らすには、まずその混乱や不安を認め、それを体験しない限り、解決の糸口は見つかりません。瞑想は不安や混乱に気がつく『心的な余裕を生み出す』ことが大切です。瞑想に馴染みのない人の多くは、この心的な余裕を作ることができないため、混乱や不安が起こっても多くの場合気がつく事ができません。
瞑想は自分の不安や混乱、恐怖に気づき、それに取り組み、それを解消できるものなのです。
瞑想中に大切なことは、不安や混乱があったときにそれに「気づけるか?」が重要なポイントになります。要するに、瞑想中は気持ち良くなることより、不快感を感じ始めた時の方が重要なのです。何かの不快が起こった時、何か厄介ごとが起こってるなと感じ、何かが私たちを悩ませていると感じます。あらゆる思考やそのパターン、感情的なこだわり、足が痺れた、腰が痛いなどの身体的な問題などに取り組み続けていくと、実は一番の問題点は自分自身にあることも分かりはじめます。私たちは、周囲のことや、他の人たちをどうにかする以前に、まず自分をどうにかしなければならないことに気がつくのです。私たちのストレス、悩み事、困難を、周囲のしわだざと責任をなすりつけても、その不安や混乱はなくなりません。対処する場所、方向が違うからです。私たちはまず自分の状況に素直に立ち戻る必要があるのです。
自分に立ち戻るためには、まず『自分と友達になる』術を身につける必要があります、マインドフルネスはそうしたことにとても有効なのです。自分と友達になるということは、自分自身を受け入れ、認めることです。自分の中にある、イライラ、不安、恐怖、焦り、プライドなど、心の中に想起するするべてに働きかけます。そしてそれを「経験」したら、そこから身体、呼吸、思考というシンプルなアウェアネス(気づき)の感覚へ戻してくという「繰り返し」が大切な瞑想の練習になります。
ここのに気が付く「アウェアネス」の感覚を練習していくと、アウェアネスの感覚の範囲が徐々に広がることがわかります。落ち着いて明晰なマインドフルの感覚があり、心が彷徨っているマインドレスの感覚もわかるようになります。どちらか一方というより、その両方を見ているような「全体的」な意識、全体的なアウェアネスが培われていきます。呼吸や姿勢、思考のプロセスに対してマインドフルでいるだけではなくて、もっとその基盤となるところに気づいているようになります。そこには全てを包含する『全体性』の感覚があります。
瞑想をしているとき、部屋の空間全体に気がついてます。お尻の下にクッションがあることにも気がついてます。外の音にも気がついてます。呼吸だけ、姿勢だけ、自分の思考だけに気がついているのではないのです。瞑想の練習が進めまば、さらにその先には、非言語的なものや、非概念的なもの、抽象的なレベルものなどにも気がつくことこができることを発見していきます。言葉も、概念も、視覚化もない、ただシンプルな、存在の感覚、「何かが起こっている」といった感覚があることに気がつきます。この領域のことはなかなか言葉では表現できません。
そして、この感覚は、厳密には「意識」と呼べるものでもありません。意識というのは感覚として捉えたものを評価したり、意識したりするものだからです。また「気づき」というのも完全にはその意味を表しません。あえて言葉に表すのであれば、それは『存在する』という状態です。なんの条件もなく、ただただ存在する感覚です。単なる気づきとは異なり、その感覚には、強力な衝動、常に今ある場所へ引きもどされるエネルギーがあります。常にその強力なエネルギーが起こっています。
そして、そうした状況を感じているとき、それが何かわからないという感覚と同時に、直感的に、精密な理解があります。これが根本的なアウェアネス、物事をありのままに洞察してる状態なのです。非言語的なレベルで自分の心を見始めるのです。この非言語的で、非概念的、でも非常にエネルギーに満ち溢れていながら、恍惚としている訳でもなく、鈍い状態でもなく、明晰でダイレクトな、全体的な感覚を、ナウネス(Nowness)と呼びます。アウェアネスの究極の感覚、または本当の意味での「今・ここ」とも言えるものです。
マインドフルネスを身につけていくにも段階がありますが、マインドフルネスができたらその先にこうしたアウェアネスを身につけるステージが始まります。マインドフルネスはそうした土台になるための瞑想で、決して瞑想のゴールではないのです。急がず焦らず、しかし一歩一歩確実に瞑想登山道を進みましょう。