瞑想と感情
Jun 10, 2022今回は瞑想の観点、またはエゴの視点から感情について少し書いてみようと思います。エゴ(自我)の基本的な特徴は、自分自身の混乱と、自己中心性を強調する点にあります。エゴ、即ち私たちが空想するもう一人の『わたし』は、常に私たちの本体を乗っ取り支配する機会を常に狙っています。空想の産物であるエゴが生き残るためには、常に思考を忙しく働かせ、私たちを常に考えさせ、空想させておく必要があります。頭の中を、おしゃべりでいっぱいにして、心の中を混乱させていくことが、エゴの戦略の基本なのです。
エゴのそうした戦略の中で、最も強力な武器ものは、「感情」です。イライラしたり、何かに夢中になったり、意図的に物事を無視したり、プライドに駆られたと言った感情的な心の動きは、頭の中でおしゃべりをさせるための格好のネタになります。『わたし』が何かをしっかりクッキリ考えているような気がしているとき、エゴは感情のエネルギーを補充して生き生きとし、そして成長します。
感情は自分の心が投影したある種のプロジェクションで、そもそも実態がないものです。しかしその実態のない感情に囚われて、それに関わり続けることは、その架空のストーリーが本物のよう思い込むきっかけを作ってしまいます。そしてそうした頭の中ででっち上げたフェイクニュースが、いつの間にか自分の中の真実や信念に置き換わっていきます。元々架空の話に過ぎないことが、それ自体命を吹き込まれたようになり、私たちの悩ませるようになっていくのです。
これこそがエゴの求める理想的な状況です。感情のエネルギーは、肥大化した自己の感覚を強化するのに大変役立ちます。私たちが常に感情に囚われている時、ポジティブでもネガティブでも、しっかりと『わたし』がそれを感じています。全ての心の活動の中心に何か実質的な実体があるような気になるのです。
このように激しい感情がある時、エゴはそれを利用して、『わたし』をより強固なものにしていきますが、その時エゴは、「思考」も使い始めます。思考のプロセスと感情をうまく繋げていくのです。そうなると思考は、感情を維持するためのとエネルギーになり、エゴは自足自給で持続可能な存在になります。強固で普遍的で、サステナブルな『偽わたし』が完成します。
こうしたエゴor『偽わたし』システムが確立されると、感情的な起伏がなくても、さまざまな心のドラマを作り出し始めます。ある程度落ち着いている状態にありながらも、常にイライラや、不安、混乱を作り出し続けて、『わたし』が維持されるメカニズムが作動し続けるようになっていきます。エゴは、思考と感情を非常に巧緻に活用して、『偽わたし』中心、自己中心性を維持するための完全な世界を作りだします。
エゴのシステムはとても強力で効率的で自然です。立ち向かうのは容易ではなさそうですが、これに立ち向かうことができる方法があります。それが瞑想です。 瞑想は、こうしたエゴのシステムに働きかけ、解体するための強力で唯一の方法なのです。エゴの持続可能システムを断ち切るためには、そのシステムの動き、すなわち思考パターンを知ることから始めます。そしてそのパターンにある種の障害を与えて、エゴのシステムに混乱を与えていきます。これによってエゴに支配された心の基本的な構造を解体することに取り組めるようになるのです。
このエゴの機能不全を起こさせる重要な瞑想の代表格が、マインドフルネス瞑想です。私たちは日頃いろいろな思いを巡らせています。来週の仕事の心配や、過去の後悔、週末の楽しい旅行、ニュース映像による感情の揺れ動きなど、さまざま大きいものから小さいものまで、ポジティブもネガティブなも、あらゆる思考に囚われ、それを複雑に絡み合ったものにしています。マインドフルネスは、呼吸や姿勢、思考にラベルをつけると言ったとてもシンプルなことを繰り返すことで、エゴの循環システム、思考プロセスの操作を弱体化させていくことができるのです。瞑想は思考のプロセス全体を単純化することが重要で、思考を複雑にしたり複雑にしないことがポイントになるのです。
思考の深み心の深層に入り込んで自分に働きかける内向的な方法は、エゴのシステム強化につながってしまうため、瞑想は内向的にならず、自分の内側に「集中」する必要がありません。『わたし』『わたしの心』『わたしの瞑想』などに焦点を当てることで、自分の中に集中させる傾向はエゴを刺激させるだけなのです。エゴや自己中心的な心の傾向に取り組むためには、いかに慣れ親しんだ『偽わたし』システムから離れられるかがポイントです。
瞑想は、身体の感覚、動き、呼吸のすべてが、私たちを取り巻く環境、外の世界と関係しています。純粋に身体の中だけに集中するものではありません。坐る、歩く、呼吸をするという基本的でシンプルな所作に意識をむけ、外的な環境と関わることが、唯一エゴの強力なシステムを崩すことができるものです。マインドフルネスが外向的な瞑想であると言われるのはこのためです。マインドフルネスが瞑想の基礎基盤で、2600年の間重要な位置を占め続けているのにはこのようにしっかりと理由があるのです。